2020年の3月だかに発売された「Person」という雑誌で、「待機中も舞台の上にいるから、待ってる間はただの山本亮太なの。自分の番になったらスッと役にはいる。その瞬間も面白いと思う」と、初代イエロー大臣が語っていたのを、1年越しの2021年2月に実感する事になり。「なるほどな!!!!」と思ったんだけど、当のイエロー大臣はステージ上にいませんでした。というこの事実が夢ならばどれほど良かったでしょう、、、と危うく米津玄師になりかけることがこの1年間で何度もありました。
さて。
残暑も残る10月の初め。皆様いかがお過ごしでしょうか。
1年ぶり、そしてこれで私が山本亮太くんについてブログを書くのは恐らく最後になることでしょう。。
某コロナの影響で1年越しの開催となった「実験室」は「宇宙Sixトライアル#1 実験室」という名前から「Retrial 実験室」と名前を変え、2021年の2月に上演されることとなったわけですが、なんとその間に自担がいなくなりました。
私はドMなので自担がいなくなった、でもいるはずだったその舞台に3回も足を運びました。
シンプルに実験室のステージ上で繰り広げられるエンターテイメントが大好きだったからなんですけど。
いるはずだった場所にいない、という痛み。
なんでいないんだ?本当ならいるはずだった、だってこんなにも彼の気配を感じる。こんなにも彼らの関係性を表すセリフがある。だってこのシーンの裏話をイエロー大臣から聞いたことがある。さらにもしかしたらこの曲の振付をしたのはステージ上にいない彼なのではないか、、、?なのに何故肝心なイエロー大臣が目の前にいないのか!!!!!!!
絶望した。
彼がいなくなった現実を突きつけられた。
でも現実を嫌というほど突きつけられたからこそ、私の好きだったあの場所に私が1番好きだった人だけがいなくなった事実と向き合わざるを得なかった。
というのが半年前自担がいなくなった現場に行った感想です。
気づいたことがあります。
多分私は、あの場所にいるはずだった彼を探し続ける。今を生きる山本亮太と向き合うことができない。過去の思い出を後生大事に抱えてしまう。
アイドル山本亮太に会いにいくのが幸せだったし、
俳優山本亮太に会いに行くのが幸せだった。
亮ちゃんが演じるいくつもの役に出会うのが幸せだった。
過去の思い出でじゅうぶんです。
もうあのキラキラした日々を越える思い出はいりません。
過去の事ばかり思い出す私を許してください。
もう思い出すのはやめます。
今日限りでやめます。
心の奥底に閉まっておきます。
山本亮太初主演舞台「HEY!ポール」
りょうちゃんが演じた平汰は、
「もう寝ま〜〜〜〜〜す!」
って言って自殺する。
私も、山本担として最後の言葉はそれにする。
もう、寝ま〜〜〜〜〜〜す!!!!!!!
(追記)
と、ここでブログを終えればキレイにすっきり終わるのにどうしてか続きを書きたくなってしまったので追記。
山本担を辞めようと決めて、
インスタもTwitterも YouTubeも山本担のフォローも全部全部外しました。
できるだけ山本さんが目に入らないようにしました。
そうしないと一生ずるずる彼の事を気にかけながら生きていくと思ったからです。
1年前色々あって即日解雇になりましたが、彼のことを嫌いになった事は一度もありません。
むしろ今でも何も変わらない彼を見て気持ちが揺れることもあるのです。が。
どうしてもジャニーズだった山本亮太が頭をよぎってその度に病むのはなんか色々コスパ悪いなと思って
いやコスパ悪いからオタクやめるんか!?と今自分で書いてても思う、けどまぁそれだけじゃないよね色々あるよねって話。
この1年間色んな事を考えたりしたけどそれを全部文章にまとめるのは到底無理なので着地点である山本担をやめる、ということだけ書きました。
そもそもこのブログは誰かに見てもらいたくて書いてるわけじゃないし、ポエマー人格の私の思いの丈を思う存分綴ってまぁとりあえず一応TwitterにURLは貼ってみてるけど、私による私のためのブログなので私が分かってればいい話ではある。
1年前冗談抜きでどん底に落とされた私に色んな言葉をかけてくれて救ってくれたフォロワーの皆々様にはいくら感謝を申し上げても足りません、という話も多分一生します。オタクはオタクに優しい。